書評:ルース•ベネディクト「レイシズム」

今回私はルース•ベネディクト著の「レイシズム」を読んでみました。この本を手にしたきっかけは、昨今アメリカで起きたジョージフロイト殺害事件を端に発した世界的な黒人差別撤廃デモです。私は恥ずかしながら過去人種主義について知識として過去も経緯等知ってはいても、それを直接自身の経験や実感として捉えるという機会はありませんでした。しかし、現在起きている事態を受け、そもそもレイシズムとは何かについて知りたいと思いこの本を手に取った次第です。

 

著者のルース•ベネディクトは主に第二次世界大戦期にかけて活躍していた文化人類学者であり、当時としては極めて珍しい女性でありながら大学で教授職に就いていたようです。そんな彼女ですが、我々日本人にとっては「菊と刀」という日本人の特質を描いた著書のよって有名な存在でもあります。彼女は第二次世界大戦時、日米間での対立が深刻となり戦争が予見されるようになった段階で、政府機関に登用され、そこで作成した報告書が後に「菊と刀」として世に出版されたということです。

 

そして、本著「レイシズム」で彼女はまず、人種について、あくまで生物学における分類法の一種として定義をした上で、何が人種「でないか」、つまりどのようなものが人種を特徴づけるものではないか、ということを示します。そしてそれによると、言語、文化、文明、血液型、身体的特徴(顔や鼻の形とか髪の色など)、果ては皮膚の色でさえも、それがその人種によって特徴的なものであるとは言えないということです。これは一見すると大きな驚きを与える結果のように見えるのですが、実際はそういう訳ではなく、少し頭を考えれば理解ができることであり、要するにいわゆる「黒人」と言われる人たちの間でも、いわゆる「白人」と呼ばれる人々よりも肌が白い人もいるし、それは他の身体的特徴についても同様であるということで、我々が日常よく耳にする「〜人だからーだ」と明白に断言できるも実は存在しないということです。そして、そのことからも同様に、「白人だから頭が良い」とか「黒人だから頭が悪い」という言説は理論的では全くないと指摘するのです。

 

そしてこれに対する論拠として、ベネディクトは遺伝の伝播性について説明をしています。つまり、メンデルの法則を足がかりに、自分の祖先から代々と100%引き継がれていく特性や性質というものは実は存在しないと伝えています、そして現在の例えばヨーロッパに見られるような身体的特徴の多様性は(例えば、スウェーデン人は背が高く青眼金髪であるというバイアスがあるが実際その特徴に合致している人は当時でわずか10%程度しかいない)、過去移民交流等によって多くの異民族交配が繰り返されてきた結果であると述べているのです。つまり、今私たちの目にしている人種区別に関して、これは過去の人々の交流の結果出来上がったものであり、明確な線引きが出来ず、また、いわゆるアダム(白人)から全ての人類が生まれたということも出来ないのです。

 

このように、ベネディクトは人種についてその定義するところの困難さを前半部で説明した訳ですが、彼女は人種による区別そのものを否定しているとかそういう訳ではありません、あくまで人種というのは生物学的にみた人類の分類法であると定義した上で、その定義が非常に困難であることを述べているのです。しかし、レイシズムについては、それはただの迷信であり、いつの時代にも科学的な説得的な論拠などないことを断言しています。そして、面白いことに、今我々が目にする人種差別的行動の多くは、19世紀後半(厳密にはダーウィンの進化論以降)から始まったことを指摘しているのです。

 

どういうことかというと、いわゆる近代史以前というのは、人と奴隷を差別するための基準としてキリスト教が掲げられていたのです。大航海時代以降、各未開発地を次々と植民地化していった西欧列強諸国は未開の地に住む黒人たちをキリスト教を知らない野蛮人ということで、彼らを啓蒙するのがキリスト教国たる西欧の役目という大義名分のもと奴隷政策を実施してきました。しかしその根拠は当然彼ら黒人がキリスト教徒になってしまえば正当性を失いますから、彼らはそれに代わる代替案を考える必要が出てきます。そこで持ち出されたのが人種なのです。そして宗教よりも遥かに分かりやすい肌の色による差別は現在まで続いてきたのです。そしてダーウィンによる適者生存論(強いものが生き残り弱者は淘汰される)についても、要するに白人は権力を掌握し世界の覇権を握るほど強く、黒人は奴隷として搾取され続けるのという状態を肯定するものでもありました。

 

この本が制定された当時の世界情勢は、この価値観がさらに国家のナショナリズムとも結びつきナチスなどの勢力を台頭させることになりました。しかしここで興味深いのは、日本はドイツと協定を結んでいましたが、日本についてはアーリア人と同様の血が流れているとして、ユダヤ人に行ったようような人種差別政策を実施しませんでした。これはレイシズムが極めて政治的な理由で利用されているという側面を強調しているのではないでしょうか。つまり政権側にとって都合の良い存在だけを優遇し、他の不都合な人種に対しての迫害を正当化するために用いられるもの、それがレイシズムなのです。

 

では現代に生きる我々はこの本からどのような教訓を学ぶべきなのでしょうか。私がこの本を読んで一番大きく感じたことは、現在世界中で人種による様々な痛ましい事件がおきていますがえ、我々人間は本質的には何も変わらない「人類」であるのだ、ということでした。この本で得た知識に対してその全てに賛同するのであれば、先ほども述べたように人種により特徴づけられる明確なものは何一つとして無く、人が持ち得る性質は他人との相互交流や自分の属する社会、教育など外的要因によって形づけられるものであり、そこに肌の色が違うだとか、身体的特徴だどうだとかというのはあくまで「違い」に過ぎず、そこに優劣はないということです。21世記に暮らす我々はますますこの点についてより一層意識をしていかなければいけないのではないでしょうか。